こんにちは。心理カウンセラーの 高井なほ です。
私は、アダルトチルドレン・愛着障害の傾向や、
HSP気質のためにつらい悩みを抱えている方に向けて
カウンセリングを行っています。
私自身も生まれついてのHSPの気質に加え、
幼少時の環境からアダルトチルドレンと愛着障害の症状を抱え
長い間、闇の中を苦しんできました。

私がどんなふうに苦しみ、そしてどのように乗り越えてきたのか。
書くのは正直つらい作業でもありましたが、
今のあなたに希望の光を届けられたら…という思いで
ここにプロフィールとして綴ってみました。
あなたのお役に立てたら嬉しいです。
幼少期
「難しい子」という母の言葉
「私は迷惑をかけているの?」という不安

幼い頃から、私はとても敏感で早熟な子でした。
当時はまだそんな言葉はありませんでしたが、
今で言う「HSP」や「繊細さん」に当てはまるのだと思います。
私は、その気質を生まれつき持っていたのです。
人の何気ない言葉にも傷つきやすく、
泣いたり、すぐに不機嫌になってしまうこともありました。
母からは「敏感すぎて難しい、育てにくい子」と言われていました。
小さかった私は、母の言葉から
「自分は母に迷惑をかけているのかも」と感じていました。
幼稚園では、母の迎えが遅くなった日に、
「お母さんはこのまま来ないんじゃないか」と不安になり、
泣き叫び、床で転げ回って暴れました。
そんな私を見て、園長先生が「泣き虫さんだねえ」と言いました。
その時の呆れたような表情を見て、
このままじゃみんなに嫌われてしまうかもしれない、
という危機感を感じました。
小学生
友達からの嫉妬
「ほめられちゃいけないんだ」
ショックと寂しさ

母が喜ぶため
母が忙しそうなときには
弟を誘って外に連れ出したりして
役に立とうとしました。
学校でも素直で言うことをよく聞く優等生。
先生たちにも頼りにされ、
学級委員を毎年のように務めました。
小学校6年の、ある日の学級会でのことです。
議題は新しい学級委員を決める、というものでした。
私は当時の学級委員として、
いつものようにみんなの前に立っていました。
次の学級委員の候補者には私の名前も上がりました。
でもそこで、1人のクラスメートに「ふさわしくないと思う」
というようなことを言われたのです。
その意見に賛成する子も何人かいました。
「そんな風に思われていたんだ…」
ショックで体が固まりました。
クラスみんなの前で否定されたのに、
聞いていた先生も、その場でも、後からも何も言ってはくれませんでした。
その後どのように学校で過ごしたかは覚えていません。
数ヶ月後には卒業したのだと思います。
卒業後には、仲が一番良いと思っていた友達からも
陰で「先生のお気に入り」「威張ってばっかり」
と言われていたことを知りました。
「友達がほしいのに。
どうしたら好かれるのか誰か教えて」
心が叫んでいました。
悲しみと寂しさが押し寄せてきました。
中学生
周りに合わせて自分を変える
「私はどうしたらいい?」
混乱と深い孤独感

中学生になったら、学級委員は絶対にやらない
と決めました。
推薦されても「自信がありません」と断りました。
クラスでは、面白くて賑やかなクラスメートたちと一緒に過ごしました。
グループに入れたし、行動を共にする友達もなんとかできた。
これで安心だ。そう嬉しく思っていました。
グループの1人の先生に注意されたのをきっかけに
集団でその先生に反抗するようになりました。
私も「友達を守らなくちゃ」と思って、
先生には口答えばかりしていました。
おかげで通知表には厳しいことを書かれて
親が心配するくらいでした。
クラス替えでそのグループは解散。
新しいクラスでは居心地の悪さを感じました。
誰も自分のことを見てくれない。
でも、悪い子だと怒られたり、迷惑をかける。
良い子でも友達から嫌われる。
自分はどういう風にふるまったらいいの?
頭は混乱していました。
そんなことばかり考えていて
勉強にも集中できず
成績はどんどん下がりました。
頑張っても、どうせ人に嫌われるだけだし。
そういう気持ちもありました。
高校受験の時には「お前わざと勉強してないだろう?」と
担任に言われたりしました。
なぜだかいつも孤独でした。
だれも自分のことなんか分かってくれない。
そんな気持ちが時々現れて
心が満たされていないのを感じました。
高校生
大学受験に失敗
「迷惑だ」と父親から言われるのが怖い

高校に入ると、学校で体調を崩すことが増えました。
授業中に急にお腹が痛くなったり、吐いてしまったり。
大きな病院で検査をしても、
はっきりした原因は見つかりませんでした。
家では、なるべく親と関わらないようにしていました。
特に父は、毎晩のようにお酒を飲んでいて、
深酒すると気が荒くなる人でした。
口論になると、蹴られたり踏まれたりしたこともあります。
そんなとき、母は見て見ぬふりをしていました。
大学受験では思うように結果が出ず、
不合格が続きました。
「女に金をかけるなんて、もったいない」
昔からそう言っていた父に、
予備校へ行きたいとは、とても言えませんでした。
少しでも自分で何とかしようと、
新聞配達のアルバイトを始めました。
次の春、一校だけ合格し、そこに進学しました。
不合格が続いていた時、また父と口論になりました。
「だからお前は落ちるんだ」と言われ、悔しくて泣きました。
教員時代
教育困難校で無理をしすぎて退職
「私はダメなんだ」

大学生の頃、家庭教師のアルバイトで、
クラスの子にいじめられて不登校になった
中学生を担当しました。
勉強を教えるだけでなく
話し相手や相談相手として関わるうちに、
その子は少しずつ元気を取り戻し、
卒業前には学校に通えるようになり、
とても感謝してくれました。
その経験から、「困っている子どもの力になりたい」
と強く思うようになりました。
自分の子ども時代と重ね合わせて
子どもを救いたい、などと考えたのかもしれません。
幸いにも教員採用試験に合格し
初任校に赴任しましたが、仕事は過酷でした。
生徒たちは反抗的で、教室内での暴言は日常茶飯事でした。
卒業生が授業中に無断で出入りするような、
いわゆる教育困難校だったのです。
自分を奮い立たせ、生徒に負けずと立ち向かい
生徒指導に夜遅くまで取り組みました。
でも、いつの間にか私は、無理をしている自分に気づかないまま、
「生徒のための先生になる」という自分の夢を叶えようと
頑張りすぎていました。
ある日、全体の保護者が集まる会で名指しで非難されました。
新採のくせに生意気、と思われたのかもしれません。
管理職も他の教職員も、誰も助けてはくれませんでした。
それでも必死に踏ん張っていましたが、
教室でぼや騒ぎが起こったことがきっかけで、
心の糸がぷつりと切れてしまいました。
私は疲れ果てていました。
その後、職場に行くことができなくなり、
休職もせず、そのまま教職を離れることになりました。
自分自身も本当につらい思いをしたはずなのに、
私は自分を責めました。
「頑張っている人もいるのに、なぜ私はできないんだろう」
「子どもを助けたいと思ったのに、全部投げ出してしまった」
「私はやっぱりダメな人間だ」
何度も、何度もそう思いながら、布団の中で泣きました。
起き上がれない日が続き、ただ、自分を責め続けていました。
結婚
夫に頑張ってほしいから私も頑張る
ある日突然パニック障害に

その後、ある男性と結婚しました。
家庭環境で苦労してきた人でした。
優しくて、父親のように声を荒げることはない人でした。
自分のことも分かってくれそうな気がしました。
しばらくは幸せに暮らしていましたが、
夫の収入が不安定になってきました。
結婚当初は、安定した仕事に就こうという意欲があったのに
子どもが生まれても動く様子がありません。
私も子育てをしながらずっと働きました。
私が頑張っていれば
いつか必ず夫も頑張ろうと思ってくれる、
そう信じていました。
職場でいじめに遭い、
それが元でパニック障害を発症したこともありましたが
働き続けました。
離婚
働かない夫への諦め
「もうこの人とは無理」

夫は年齢とともに
職場でどんどん不安定な立場になっていきました。
生活のため、私は学校で講師職に就きました。
はじめはトラウマで、黒板に立っても
背中を生徒に向けられませんでしたが、
それでも以前に比べれば
ずっと落ち着いた学校でした。
体の不調は何度か経験しましたが
やりがいを感じながら働くことができていました。
夫も、幸運にも人の紹介で新しい仕事を見つけることができました。
私も安心したし、夫も喜んで頑張って働き出しました。
でも、1年ほど経ったある日、夫の職場からの電話で、
ずっと出勤していない、ということが分かりました。
その日は無断欠勤だったというので、心配して電話をくれたのです。
私は職場から抜けて家に帰りました。
そこには布団をかぶって寝ている夫がいました。
「代わりに電話してくれ」と言う夫を見て、
もうこの人とは無理だ、と思い、
離婚を決意しました。
実家へ
母との不和と思いがけない不幸
「だれも幸せにできない私は役病神?」
強い自分責め

離婚で家を失い
娘2人と共に、母が住んでいる実家に行くことを決めました。
母ともよく話し合って決めたはずでしたが、
行ってみると母の冷たい態度に驚きました。
残してきた荷物を運び入れたい、と言うと
部屋がたくさん余っているはずなのに
「外にある物置に入れなさい」と言われたり、
大学生の娘の学費が高額だ、という話をすると
娘に学校を辞めさせようとしました。
娘たちのためと思って実家に来たのに
母に気を遣って、娘たちが我慢しているのが分かっていました。
これ以上は無理か、と引っ越し先を探し出したころ
思いがけないことが起こります。
母が交通事故に遭い、病院に運び込まれたのです。
トラックに轢かれたということで
奇跡的に命を取り留めましたが
頭の骨を折る重傷でした。
その連絡を受けて真っ先に頭に浮かんだのが
「私のせいだ」という思いでした。
「母は疲れていたんだ。私たちが来なければ…」
ショックで、いろんな思いがどんどん溢れました。
「私は疫病神だ」
「夫も娘も母も
私と関わったから苦しむことになってしまった」
「世の中から消えてしまいたい」
もう1人の自分は「そんなことない」と懸命に訴えてくるのに
感情が爆発してしまって
自分を責め続けて、止めることができませんでした。
カウンセリングで幼少期の心の傷に気づく
悔しさと悲しさ
「私の人生を返して」

その後、家族で話し合い、母のことは弟に任せ、
娘と3人で新しい場所に住み始めました。
私は心療内科で薬をもらいながら、
学校の講師の職を得て
娘たちとの生活を支えました。
心療内科ではカウンセリングもあるから
やってみないか、と主治医に言われ、
受けてみることにしました。
話を聞いてもらっているうちに
ゴチャゴチャしていた気持ちが整理されていき、
楽になっていく感覚がありました。
カウンセリングのおかげで、
私はようやく、母への思いを口に出せるようになりました。
カウンセラーは、
「お母さんは、人の気持ちに寄り添うのが
とても難しい方だったのかもしれませんね」
と言いました。
そして、そういった親のもとで育った子どもは、
心に「愛着の傷」を抱えることがあり、
それを「愛着障害」と呼ぶことがあるのだ、と教えてくれました。
その言葉を聞いたとき、
父が生前、母のことを「冷たい」と言っていたことが思い出されました。
そして、それまでの母とのやりとりが、ようやく腑に落ちたのです。
なぜ私は、こんなにも自分を責めてしまうのか。
なぜ、こんなにも生きづらさを感じてきたのか。
その理由が、母との関係にあるかもしれない
とも言われました。
「そうか、それが理由だったのか」
そう思うと同時に、胸の奥がずんと重くなりました。
けれど、今さら理由がわかったところで、
私の過ごしてきた時間は、もう戻ってきません。
もしもっと早く知っていたら、
あの長くてつらい時間を、違う形で過ごせていたのかもしれない。
あの時間は、いったい何だったのだろう……
母への怒りがこみ上げてきました。
でも同時に、
「母がそういう人であれば、私の気持ちが伝わることはきっとない」
という諦めにも似た感情が押し寄せてきて、
深い虚しさを感じました。
しばらくすると、今度は母への罪悪感が湧いてきて、
気持ちは行き場を失い、ただ揺れ続けました。
駅のホームで突然涙が止まらなくなったり、
「虐待」という言葉に触れただけで具合が悪くなったり、
友人の前で大声で泣いてしまったこともあります。
そんな日々を、私はしばらくの間、
ただ耐えるようにして生きていました。
心理学を学び始める
同じ経験をした人たちと話して
孤独感が癒える
「私だけじゃない」

カウンセリングを受けていたためか、
時間が経つと少し落ち着いてきて、
「母のような人に育てられた人が、
どうして私のように苦しむようになるのか
もっと知りたい」
そう思うようになりました。
本を読むようになり、
そこで知ったのが「アダルトチルドレン」という言葉でした。
その本で紹介されていた
「アダルトチルドレンの症状」に
ほとんど当てはまっていることが分かった私は、
もっと専門的な勉強をしたい
と思うようになりました。
そして放送大学で心理学の講義を受けたり、
潜在意識の講座の受講したり、
と学びを深めていきました。
講座の中で、受講生同士で親しくなり、
自分のことを話すようになりました。
同じように親との関係で悩んでいる人が何人もいました。
「つらい経験をしているのは私だけではないんだ」
この体験でようやく孤独感が癒えた気がしました。
心を癒すスキルを学ぶ
人の役に立ちたい
「カウンセラーになろう」

講座の中で心を癒す技術をいくつか学び、
セルフケアできるんだ、ということを知りました。
母のことで傷ついていた私は
インナーチャイルド、と呼ばれる
幼少期の心の傷にアプローチしていく技術で
自分を癒してもらいました。
また、深い心の部分では、
否定的な思い込みがあることも知りました。
心の複雑さや傷つきやすさを知れば知るほど、
この知識と技術を人のために使いたい、
という気持ちが強くなりました。
自分の悩んできたこと
学んできたこと
経験してきたことを使って
もっと多くの人の役に立ちたい。
そう思った私は、自然に「カウンセラーになろう」と決めていました。
つらい日々から抜け出せた今
感じる安心感と幸福感
「あの時あきらめなくてよかった」

心は体と同じで、健康に保つためには
ケアが必要です。
それなのに、多くの人がその方法を知りません。
心が健康になれば、
今感じている悩みが
悩みではなくなっていきます。
なかなか消えていかない悩みであれば
心の深い傷を癒すことで
楽になっていきます。
心のケアは、今後同じ悩みに陥らないためにも必要なことです。
私もずいぶん明るく、元気になりました。
あのつらい日々の中にいるときには
こんな日が来るとは信じられませんでした。
自分の人生を振り返ると、
あの時何もせずに、あきらめてしまっていたら
今頃どうなっていただろう…と思うことがあります。
もし心のことについて何も知らなかったら…
もしカウンセラーに話を聞いてもらおうと思えなかったら…
決して今のような気持ちを味わうことはできなかったでしょう。
ただ人を恨み、自分の人生を恨み、
寂しく年老いてしまっていたかもしれません。
でも、今、こんなに元気になり
安心感と幸福感を感じながら
日々を楽しむことができるようになったのは
心理学の知識とカウンセリングのおかげです。
・自分が嫌いで否定ばかりしてしまう
・自分のことをすぐに責めてしまう
・対人関係もうまくいかず、孤独を感じている
そういったお悩みに苦しんでいるならば
もう、一人で抱えないでください。
一緒にあなたの未来を考えていきましょう。
ご相談をお待ちしています。